聖なる日の辛い思い出。
「光の学校」の工事中写真を見ると前の岐阜県のそれと似ている感じがしました。
次回の更新でOPEN日程や詳細がわかるそうでいよいよですね。
京都の建物を探して就職志願の人もいたとか。どうやって探したのでしょうか?
特殊能力者(?)。他に履歴書も何通か届いているようで「大阪維新の会政治塾」のミニチュア版みたいですね。飯田先生も選考に頭を悩ませることになりそうです。
先月の「寂庵だより」に書いてありましたがもう処分したので詳しい内容は覚えていませんが
「この世は良い人が不幸になり、悪い人が幸福になるということがあります。この世は(不条理)なんです」90年近く生きてきて仏教の教えを説かれる寂聴さんの言葉は真実味があります。飯田先生の「生きがいの創造Ⅳ」にも同じようなことが書かれていました。
新聞やテレビのニュースを見ていると「あんなにいい人が何でこんな殺され方を・・・・」「死に方を・・・・」
「誰からも恨まれる人ではないのに・・・・」「仲の良い理想的な家族だったのに・・・・」
人生長い分、これまで何万回そういう言葉を聞いてきたことか。
過去生で悪いことをしたから?そんなことでは説明がつきません。
生まれる前に計画していた?それも回答になりません。
「不幸」は何のためにあるのか生きてる間に知りたいものです。
今日2月14日は聖人バレンタインが殉教した日ですがチョコレートの日でもいいです。
男性は現代では義理チョコでもほしい(笑)意識になってしまいました。罪な日でもあります。
女性も大変ですので安い一口チョコ位で十分ですよ。男性は単純ですからね。
30年ほど前、文通で知り合った女性と交際していましたが、ヨガをやっていたのが
共通点でした。しかし、会ってみて印象も違い、私も小さい頃からおとなしいと言われる
位の性格でしたがこの女性はその私が驚くほど口数が少ない人でした。
会うたびに話題に困り、一応、結婚を前提とした付き合いだったのですが今後の生活を考えると負担を感じるようになりました。そして悩んだ末、ある日に交際を断ったのです。
相手は乗り気だったようです。こんなことになるなら最初から会わなければ良かったと当時思ったものです。いつ断ろうか毎日を悶々としていたのであとで気がついたのですが
その日は2月14日でした。ということは彼女はチョコレートを持ってきていたかもしれない。そう思いました。3,4ヶ月してからある男性と結婚したという手紙が来ました。姓も変わっていました。
今頃、どうしているのかとは思いますが今生では会おうとは思いません。
「生きがいの創造Ⅳ」でニゴリカワ先生が「中間生」に帰ってから迷惑をかけた人たちにお詫びをしたと書いてありましたね。また逆にその人たちからお詫びされたという内容に少し
救われた気持ちになりました。今生では会うことはないでしょうが、勇気もないですし、男女を問わずお詫びしたい人は何人かいます。生きていると誰かを傷つけるものです。
「中間生」でお詫びすれば許されますよね。善人(笑)の皆さんはどうですか?
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